名人400年記念切手。切手シートは特製台紙に収まっています
特製台紙には名人戦七番勝負の記録の数々が収録されています
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名人戦の歴史を彩る写真や新聞記事が掲載されています(P2-3)
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名人戦七番勝負の全記録と、歴代名人の揮毫(きごう)がご覧いただけます(P4-7)
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切手シートは永世名人を含む歴代名人の写真で構成されています
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特典の名人400年に行われる第70期将棋名人戦七番勝負のポスター(B2サイズ)
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将棋名人400年 名勝負の記念切手と限定ポスター付き
将棋の棋士なら誰もが目指してきた最高峰「名人」が誕生してから、ちょうど400年。それを記念して、「名人400年記念切手」を発売しました。
大山康晴、升田幸三、谷川浩司など、語り尽くすことができないほどの名勝負を繰り広げてきた歴代名人の写真が記念切手になりました。
朝日イベント・プラスでは「名人400年記念切手」を販売します。特典として、4月10日から開催される第70期将棋名人戦七番勝負のポスターをお付けします。この特典は「朝日イベント・プラス」限定です。
名人戦で名勝負を繰り広げた棋士たちの記念切手
「名人400年記念切手」は、記念切手シートが特製台紙に収められています。特製台紙には、朝日新聞社と毎日新聞社主催の名勝負を伝えた新聞記事の写真、名人戦七番勝負の対局データなど、歴史を振り返る盛りだくさんな内容です。
さらに、名人位に輝いた棋士たちの揮毫とプロフィールもご覧いただけます。歴代の名人たちが色紙などに思いを込めて書いた揮毫は圧巻です。中でも実力制第二代名人・塚田正夫の揮毫(きごう)は、現在ほとんど手に入らない大変貴重なものです。詰将棋や扇子の原紙など、歴代名人の個性豊かな揮毫が揃っています。
記念切手シートには永世名人と名人戦の猛者たちの写真が連なります。
戯曲「王将」の主人公にもなった阪田三吉贈名人、近代将棋の父と呼ばれた関根金次郎第十三世の名勝負を観戦する小野五平十二世、学識豊かな名人で知られた木村義男第十四世、生涯現役を貫いた大山康晴第十五世、無理せずに勝つ「自然流」の中原誠第十六世、最年少で名人となった谷川第十七世、堅い守りと分厚い攻め「鉄板流」の森内俊之第十八世、六つの永世称号を持つ羽生善治第十九世の9名の名人がズラリ。さらに現代に生きる名人たちが一堂にそろった貴重な写真も切手になりました。
名人400年の歴史をひも解きながら、堪能していただけます。
商品仕様
切手シート
- 【枚数】
- 80円切手10枚シールタイプ
- 【写真】
- 1917年10月22日大阪朝日新聞社主催対局 東京・竹芝館(十二世名人 小野五平、十三世名人 関根金次郎、贈名人 阪田三吉)
- 十四世名人 木村義雄
- 十五世名人 大山康晴
- 十六世名人 中原誠
- 十七世名人 谷川浩司
- 十八世名人 森内俊之
- 十九世名人 羽生善治
- 実力制第二代名人 塚田正夫
- 実力制第四代名人 升田幸三
- 第66期名人戦第1局前夜祭(共催・第1回) 東京・椿山荘
- 【特製台紙】
- A4変型6ページ
将棋 名人戦
《名人とは》
最初の名人、初代大橋宗桂が江戸幕府から俸禄を受けたのが1612年。それが「名人」の誕生です。
江戸時代の名人は世襲制で、襲位すると死ぬまで名人を名乗ることができました。また、家元制のため、
大橋家、大橋分家、伊藤家の三つの家の者でないと名人になれませんでした。名人の主な役目は、将軍などの
前で腕前を披露する「御城将棋」や詰将棋の作品の上納、将棋の普及などでした。
明治時代に入って家元制度はなくなりましたが、統一的な覇者を決める仕組みがない状態が続きました。
実力名人制が始まったのは1935年。当時66歳の関根金次郎十三世名人が、後進に道を譲るために名人位を退く意向を示し、新しい名人を決める戦いが始まりました。これが名人戦の始まりです。名実ともに現在のナンバーワンを決める仕組みができたことで、プロの対局により注目が集まり、将棋人気も高まるようになりました。
《名人位を獲得するには》
1年を通して戦われる「順位戦」を勝ち抜く必要があります。順位戦は五つにクラス分けされたリーグ戦です。最上位のA級で優勝して初めて名人に挑戦できます。
A級にたどり着くだけでも大変で、新人の棋士は通常、最も下のC級2組に編入され、A級入りには最速で4年かかります。一つ上のクラスへの昇級枠は2〜3人。他の棋戦は、新人でも勝ち抜けば1年でタイトルを取れます。
また、名人位を通算5期獲得すると、「永世名人」を名乗る資格が得られます。原則として引退後、名乗る
ことができます。
《名人400年の歴史》
| 平安時代後期 | 奈良・興福寺の旧境内から、11世紀半ばの木簡と一緒に将棋駒が出土。同時代の書物に、将棋についての記述が登場。いずれも日本での最古の史料 |
| 鎌倉・室町・戦国時代 | 公家や僧侶、武士らが将棋を指していたとされる。大将棋、中将棋など、駒の種類や数が異なる複数の将棋があった |
| 1612年 | 一世名人大橋宗桂が、徳川家康より扶持を与えられ、「名人」制がはじまる。幕末まで、名人位は大橋家、大橋分家、伊藤家の3家で襲名した |
| 1634年 | 宗桂の息子、二代大橋宗古が二世名人に。「将棋治式三ケ条」で、二歩や行き場のない駒を打つことの禁止などのルールを制定したとされる |
| 1734年 | 七世名人の三代伊藤宗看が、将軍に詰将棋集を献上する。比類のない難解さで、「将棋無双」として知られる。弟の伊藤看寿(贈名人)の「将棋図巧」とともに「詰むや詰まざるや」の別名も |
| 1760年 | 将棋好きで知られた徳川家治が十代将軍になる |
| 1843年 | 十世名人の六代伊藤宗看が没し、将棋3家による名人制は実質的に終わる |
| 1921年 | 関根金次郎が十三世名人に |
| 1935年 | 関根が引退し、名人位が実力制となる |
| 1952年 | 大山康晴が木村義雄を下して名人に |
| 1957年 | 升田幸三が大山を破り名人に。59年に大山に奪還される |
| 1972年 | 中原誠が大山から名人を奪取 |
| 1983年 | 谷川浩司が加藤一二三に勝ち、21歳で史上最年少の名人に |
| 1996年 | 羽生善治が名人を含め七冠を達成 |
| 2012年 | 森内俊之名人が挑戦者の羽生善治二冠を破り、4勝2敗で防衛。名人位は通算7期目で、羽生挑戦者と並んで歴代4位タイ |
※敬称略
出典:朝日新聞
森内名人、4勝2敗で防衛 将棋名人戦七番勝負
■第70期七番勝負の勝敗と戦型
| | 森内 | 戦型 | 羽生 |
| 第1局 | 先○ | 相矢倉 | ● |
| 第2局 | ● | 角換わり | 先○ |
| 第3局 | 先○ | 矢倉後手急戦 | ● |
| 第4局 | ● | 相矢倉 | 先○ |
| 第5局 | 先○ | 横歩取り | ● |
| 第6局 | ○ | 角換わり | 先● |
第70期将棋名人戦七番勝負(朝日新聞社、毎日新聞社主催)は、第6局で森内俊之名人が挑戦者の羽生善治二冠を破り、シリーズ成績を4勝2敗として防衛しました。名人位は通算7期目で、羽生挑戦者と並んで歴代4位タイ。
昨年名人位に返り咲いた森内名人に羽生挑戦者が挑み、2年連続7回目の顔合わせとなりました。第5局までは主導権を握りやすい先手番が制し、交互に白星を挙げる展開でした。第6局は、中盤で受けに回っていた後手の森内名人がうまく反撃に転じ、終盤の際どい攻め合いを制しました。
森内名人は横浜市出身。16歳でプロデビューし、2002年に初タイトルとなる名人位を得ました。07年には通算5期を獲得、十八世名人(永世名人)を名乗る資格を羽生挑戦者より1年先に得ました。タイトル獲得は通算10期目です。
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森内俊之名人
森内俊之(もりうち・としゆき)名人プロフィール
1987年、16歳でプロに。
02年、初タイトルとなる名人を奪取。
07年、永世名人(十八世名人)の資格を得る。
羽生善治二冠
羽生善治(はぶ・よしはる)二冠プロフィール
埼玉県所沢市生まれ。
1985年、15歳でプロに。
96年に史上初めて七冠を独占。
08年、永世名人(十九世名人)の資格を得る。